わらぼっちが消えた国

わらぼっちを知っているだろうか。

これが「わらぼっち」です。名前がキュートでしょ。

1990年代に生まれた20代の若い世代は知らないかもしれない。

僕が子供の頃、ガツンガツンと工業化が邁進する1970〜80年代の千葉県木更津市には、まだ田んぼにわらぼっちは見られた。その小人の家のような可愛いカタチをしたわらぼっちに、僕は飛び乗って遊んだ記憶がある。

現在の様にコンバインで稲刈りをする前は、村中総出で手刈りかバインダーという手押しの小さな機械を使い稲刈りをし、竹にかけて天日干し(はざかけ)をして、稲が乾燥してから脱穀した。そして、籾を脱穀した稲藁をわらぼっちにして田んぼの横に積んで保管したのだ。わらぼっちは茅葺き屋根と同じ原理で藁を上手に重ねる事により雨を防ぎ、藁を屋外で長期保存する事が出来る。そして必要な分だけ、わらぼっちから藁を引き抜いて様々な用途に利用した。藁は田畑の肥料やマルチとなり、草履、みの、しめ縄、俵、ロープ、畳、土壁の材料等々、衣食住と日常生活のありとあらゆる場面で活用された。そして冬至頃になると牛舎の2階へ上げ、1年分の牛の餌としてして確保したそうだ。春夏秋は草を刈って牛の餌を賄えるが、草の枯れた冬になると保管していた稲藁を牛舎の2階から降ろし、牛へ与えた。と同時に定期的に牛の足元へ藁を敷き、それが牛の糞尿と混ざり、さらにその藁を牛が踏み固め、なんとその発酵牛糞堆肥は一年後には牛の足元に積上り約2mのも高さにもなって牛の背中が牛舎の屋根にあたったという!そして一頭の牛で年間約300kg(確か?)もの牛糞堆肥ができ、それを田畑へまき農作物を育てた。収穫が終わると牛で耕し、また種を播くという循環システムがかつての日本の村にはあったのだ。しかし、1960年代以降すべての社会インフラはバイオマス(地上資源)から石油(地下資源)へと一気に変わり、生活道具は藁から安くて丈夫なプラスチック製品となり、牛は耕運機へと変わり、肥料は海外の鉱山から輸入される化学肥料となった。そして、この国からわぼっちが消えていった。もう、わらぼっちを作る必要性がなくなったのだ。と同時に手仕事の文化も途絶え、農村も時代と共に変化していった。

高度経済成長に入り農村の若者たちはみんな都会の労働力となり、人手のなくなった農家は機械化、化学肥料、除草剤など「緑の革命」で農業の近代化を進め、目の前にある藁、竹、落葉、糞尿、里山等のバイオマス資源を使わなくなって行き、里山は荒れていった。そして1960年代から50年が経った今、僕の村でわらぼっちを正式に作れる人は長老でもきんざさん只一人になってしまった。だから日本の田園風景からわらぼっちが消えたという事は日本の循環文化が消滅した象徴でもあると言える。

そして、実は20世紀に起きた戦争や紛争の本質的な原因のほとんどが石油の奪い合いであると言われている。さらにピークオイルが過ぎた現在、石油や資源確保のためますます争奪戦は加熱している。

石油に支えられている「北」の国に住む僕らの便利な生活は、実はこの100年間で流された「大量の血」の上に成り立っているのだ。かといって僕もその恩恵にあずかっている。車にも乗るし、草刈り機や耕運機、パソコンも使っている。今の社会で100%そこから離れる事はすぐに出来ないが、少しづつでも「もう一つの別の世界」へと歩んで行きたい。

だから、どうしても僕はわらぼっちを教わりたかった。そして、NPOうずの仲間達と今年こそ、手仕事の名人であるきんざさんに教わる事にしたのだ。

わらぼっちの消えた国で、棚田の小さな村からわらぼっちを復活させようと思う。それは、再び地域の資源を活かす循環型のライフスタイルがよみがえる証であり、世界がより平和になるためのノロシでもあるのだ。といっても草鞋を履き、雨合羽の変わりにみのを着る訳ではない。21世紀のライフスタイルに適した里山のバイオマス資源を現代バージョンで取り入れるという事だ。

我が家のコンポストトイレからでる家族4人分の糞尿と家庭から出る野菜クズ、そして糠、籾、おがくず、刈った草、藁などをコンポストステーションに1年間積んで発酵させると、かつて牛がいた頃と同じ約300kg(その予定)の発酵堆肥が出来るのだ。

きんざさんは魔法の様に、藁を積んで行く。

熟練した手仕事とは、見ているだけでその動作そのものが美しい。身体の動きに無駄がなく、しなやかに流れ、まるで武道の型を見ているようだ。そして出来上がって行くわらぼっちは、棚田の風景にとけ込み芸術的な美しさがある。とにかく絵になるのだ。この風景全体が人と自然がコラボした「いのちの彫刻」なのだ。

それは宮沢賢治の農民芸術を思い出させてくれる。農村の自然と調和した丁寧な暮らしには、「宇宙的な美」がある。ここには生命の循環、命を慈しむ精神、世界を愛する実践、自分を高める内的時間、ホリスティックな総合芸術、肉体と精神のバランス、そして自由な遊び心がある。それは21世紀の地球に生きる地球市民文化なのだ。

「なつかしい未来」が、今ここにある。

この稲藁の山がわらぼっちに変身します。このままだと雨に当たって腐っちゃうんだけど、わらぼっちにすると大丈夫なんだ。里山には素晴らしい知恵があるよね。

ブラジル人のヘジナウドさんはスゴイ!スゴイ!を連発し、丁寧にビデオで記録しています。今や里山の知恵は全世界の宝なのです。

長老の手仕事の早さについて行こうとみんな真剣です。

みんな〜これから大事なところだよ〜。もう少しで完成です。

わらぼっちのてっぺんに帽子を被せます。この帽子を上手に作らないと藁が濡れて腐ってしまいます。だから、ここがとても重要なんです!

最後に完成した帽子をよっこらしょと被せます。

出来ました!わらぼっち完成〜!師匠、いつもありがとうございます!

翌朝、傾いていないかチェックしにいくとビシッと立っていました!う〜ん、これはもう里山の彫刻です。

わお〜、なんて美しいのだろう。わらぼっちのある風景って好きだな〜。里山は僕にとって生きている美術館です。

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わらぼっちが消えた国」への8件のフィードバック

  1. なんと素朴で美しい。そんな風景を思い出させてくれて ありがとう。
    あなたには以前、一度だけお会いしたことがありました。
    遠くから いつも楽しみに 読ませていただいてます。
    いつか私の子供を送りこめたらいいなあと いつも思っています。
    ご活躍をお祈りします。

  2. 藁ボッチとは、そんな循環の中にあったのですね。
    土呂部というところで、茅ボッチづくり体験に毎年参加しています。茅は牛の餌と家の屋根材として植えられていたそうですが、今はそのどちらの需要も殆どありません。里山の風景と文化と生態系を残そうと提唱する方の運動によって、細々と受け継がれています。

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