鴨川地球生活楽校9月「エネルギー」

〜原発に反対すると同時に、僕らは311後の答えを生きる〜

文明は何度も滅びて来た。

エジプト、ギリシャ、メソポタミア、インダス、黄河・・・かつて栄えた古代文明の地は森が失われ、今は砂漠となっている。それは人類がエネルギーの利用方法を誤った結果とも言える。

そして今の世界を見ていると、さらに事実を知れば知る程、今度の文明も崩壊に向かっているのは明らかだ。再び、人類は同じ過ちを繰り返している。しかも今度は全地球規模で。

「果たして人類という種は、今後もこの星に存続できるだろうか?」

光、熱、風、水、潮、地熱、植物、木炭、石炭、石油、天然ガス、ウラン、鉱物・・・地球上に存在するエネルギーのほとんど全ては「太陽」が源である。

人類は太陽エネルギーである薪、木炭等バイオマス(地上資源)を約1万年前から利用していたが産業革命以降社会は激変し、この100年で社会は石油(地下資源)中心となった。1万年を1年にたとえると石油が登場するのは12月28日頃、つまり大晦日の3〜4日前。そして石油は正月を迎えて2日にもうなくなってしまう計算になる。(あと40年で枯渇すると言われている。)

そして、この100年間で一気に地球環境を悪化させてしまった。

さらに1900年には15億人だった世界人口は現在70億人を突破し、人類の石油利用と正比例して、地球上の急激な農地拡大と人口爆発が起きる。そして農業の機械化と社会の工業化により、人は都市に住むようになった。日本も1950年代は人口の7割が農村にいたが、現在は逆転し都市の人口が7割になった。

そして、市場経済と巨大な経済流通機構に全世界の隅々まで覆われたが、それはまさに石油によって支えられている。そして20世紀に起きた戦争の本質的な理由は、「石油を制するものは、世界を制する」として石油および地下資源の確保だったと言われている。

農業は収穫高と生産性の増大の代償として、生産過程における石油の消費も大幅に増えていった。熱力学の観点に立つと、近代農業は歴史上もっとも生産効率の悪い農業形態ということになる。例えばアメリカのハイテク農場は、270カロリーのとうもろこしの缶詰一個を生産するために、農機具を動かし、合成肥料や農薬を与えることで2790カロリーが消費される。つまり正味1カロリーのエネルギーを生産するために、10カロリー以上のエネルギーを使っている。
(経済学者 ジェレミー・レフキン)その視点から見れば、現代人は石油を食べていると言っても過言ではない。

そして現代社会の土台である石油の産出量はピーク(ピークオイル)を過ぎたと、国際エネルギー機関(IEA)が2006年に正式に認めた。

ピークオイルを過ぎると、石油の産出量は減少の一途をたどり、エネルギー源の価格高騰と各国が残りの石油資源を争い合う政情不安が起こる。そして、それはもうすでに起きている。

日本の現状は、エネルギーに占める石油の依存率50%、化石資源トータル80%で殆どを輸入に頼っている。

生命維持に不可欠な食料については食料自給率が40%以下で、その食料生産においても化石資源にかなり頼る農業となっており、極めてピークオイルの影響を受け易い社会構造となっている。

また、急成長を続ける新興国BRIC(ブラジル・ロシア・インド・中国)およびアジア諸国がエネルギーの大消費国となっているが、このまま地球上すべての人が現在の先進国のような暮らしを継続することは不可能だ。しかし、アジアやアフリカ諸国の「南」の人々が「北」の国のような便利な生活を求めることも止められない。電気、洗濯機、冷蔵庫、車、携帯電話、パソコン、ガスコンロ、衛生的な水、トラクターなど農機具、高い医療技術、豊な食卓、自分の好きな服を選べる自由・・・。僕らも享受している文明を、「南」の国の人にだけ地球温暖化だからやめろとは言えない。生活の向上を求めることは自然な欲求だ。かといって、大量消費型の「北」の国と同じ暮らしを「南」の国も全ての人がしたら、地球が5~6個必要になってしまう。悩ましい問題だ。

それにしても「北」は使い過ぎている。そして「南」は圧倒的に足りず、毎日子供たちが死んでいる。でも、地球上に人類の必要な量は十分にある。要は分配、バランスの問題だ。地球上で、誰もが必要なエネルギーと資源と食糧を公平に分配する政治的な仕組みをつくることが求められているが、それを実現するのは容易なことではなく、かなりの時間がかかるだろう。しかし、個人やコミュニティレベルなら地球1個分の暮らしを実現することはすぐにでも始められる。今や僕らは地球1個分のバランスのとれたライフスタイルを創造しなければ、地球がもたない、もう限界なのだ。かつて地球サミットで、人類の活動がすでに地球のキャパシティをオーバーしていると発表されたにもかかわらず、24間営業のコンビニ、コウコウと明かりをつけたパチンコ店、どこに行っても立っている自動販売機、今の日本のような社会をこのまま継続することは成り立たない。資源は有限であり、永遠に経済成長を続けることは不可能で、人類がこの先も地球に存続することを望むなら、「北」に暮らす僕らのエネルギー消費量をゆっくりと下降させることが全うな未来のシナリオだ。

今回の地球生活楽校では植物油を種から搾り明かりを灯し、ソーラークッカーとミニ太陽光発電を作り、太陽エネルギーを再び自分たちで手に入れるWSを行った。

ソーラークッカーWSは発泡スチロールのトロ箱を利用して、アルミホイルを貼り、太陽熱を集め、オーブンとなる仕組みだ。各班、それぞれ個性的なソーラークッカーを制作した。そして黒い鍋に生卵を入れたソーラークッカーを太陽の下に置いて実験してみた。

この日は曇りだったため、ソーラークッカー内の平均気温は55℃前後、目玉焼きは2時間半~3時間かけて、半熟状態の目玉焼きが出来た。晴天の場合だったら70℃~80℃で、2時間もあればできるだろう。世界最大のエコビレッジと言われる南インドのオーロビルでは、食堂の屋根に巨大なソーラークッカーがあり、その熱源で多くの人の食事を作っているそうだ。

植物油を搾るWSではSIBOROという家庭用搾油器を使い、菜種、ごま、エゴマの油を搾った。ジャッキと同じ原理で圧を掛けながら、種を圧縮するがほんの少ししか油が搾れない。油って、これしか取れないんだ、と思うほどの量だ。日本の食用油はほとんどアメリカやオーストラリアの地平線まで菜種や大豆を植えた広大な農場から輸入されている。仮に日本中の全農地に菜種を植えたとしても、現在日本で使われている植物油を賄えないという。日本人の食用油も、実は石油に頼っているということだ。

搾った油は小さな皿に入れ、ティッシュとアルミホイルで芯をつくり、竹のランプシェードを被せ夜の食事の後に灯すことにした。このティッシュとアルミホイルでつくる芯は、すぐに出来るので非常時にはとても役立つ方法だ。友人はこのやり方を使ってツナ缶ランプをつくり、311直後の停電になった鴨川で実践したと言う。家の中が魚臭くなったというが。

竹のランプシェードづくりでは、竹の筒にドリルで思い思いに穴を開け、みんなアーティスティックなランプシェードを制作した。

初日の夕方は恒例の村の長老きんざさんのお話だ。

今回は「電気と石油がなかった頃の村の暮らし」を話して頂いた。きんざさんの語る内容は毎回、僕ら日本人が今、歴史の「どこ」にいるのか「時代認識」をさせてくれる貴重なお話だ。特に今回はエネルギーにテーマを絞ったのでなおさらだ。

この村に電気が入ったのは終戦の頃、昭和20年代だったそうだ。きんざさんが丁度、軍隊にいた時で、弟さんが出兵する年だったという。村人が山から真っすぐな杉を切り出し、2mも穴を掘り電柱を自分たちで立て、村人みんなで電気を引いたそうだ。そして各家に裸電球が一個だけ入ったそうだ。戦前の明かりは主に和ろうそくが一般的で、その後は灯油ランプか植物油の明かりだったから、電球がついた時はその明るさに驚いたという。僕が旅した頃のインドを思い出すな〜。

第2次世界大戦が激しくなる昭和16年頃から灯油が無くなって苦労したという。当時、新潟に油田があったが、油はすべて軍に取られたので民間には回って来なくなり、闇値で売られていたが、値段は倍になったそうだ。よって灯油がなくなると植物油やくじらの油でランプを灯したという。

なので、電気がなかった頃は日の出とともに起き、日の入りとともに早く寝るライフスタイルだったという。

僕たち日本人は、つい60~70年前までは自然のサイクルとともに、太陽とともに暮らしていたのだ。真夜中まで眠ることない大都市を作った現代文明は、はたして僕らを豊かで幸せにしたのだろうか。

この100年間で気温は0.74℃上昇(IPCCによる報告)し、地球温暖化による北極やアルプスの氷河が溶け出し海水が上昇し、ゲリラ豪雨、洪水、干ばつ、大型台風、竜巻、豪雪など世界各地で異常気象が起きている。

そして世界の農地が年間約500~600万ha(日本の農地面積以上)砂漠化し、熱帯天然林は年間1420万ha(日本の面積の約4割)が減少している。さらに世界全体で年間260億tの表土(表土とは、作物を育てるのに必要な栄養分のある土のことで、これは、土の粒子の中に落ち葉や動物の死骸が分解・蓄積してできたもの。1cmの表土ができるのに300年以上かかる)が流失し、世界の農地の土壌で約1/4の劣化が進行している。このように世界はいつ食糧危機が訪れてもおかしくない状況だ。

電気と石油がなかった頃の村のエネルギーは全て里山にあり、エネルギーは歩いて手に入れることが出来た。里山の雑木林を18~20年ごとに伐採し、計画的に里山を管理することで、枯渇することなく持続可能にそのエネルギーを利用することが出来たのだ。

どこの家にも薪小屋があり、農閑期の冬のうちに1年分の薪を集めるため「背負い子」(しょいこ)を背負い毎日山へ入った。そして薪小屋以外にも母屋や納屋の軒下には薪がズラリと積まれた。母屋では土のかまどやレンガのかまどに薪をくべて、ごはんを炊き、いろりで汁物を煮た。「籾殻かまど」という籾だけでごはんを炊くかまどもあったという。(これがスグレモノだったが、中の部品が良く壊れたそうだ)

朝、1日分のごはんを一気に炊いてしまい、「おひつ」に入れておき、冬は藁で出来た保温用の「いずみ」と呼ばれる藁の保温カバーに「おひつ」ごと入れておくと、夕方までごはんが温かったそうだ。

また冷蔵庫がなかったので、冷やしておきたい物は井戸へ吊るし、基本的に食事は常温保存だったので、夏場、朝に調理したおかずは昼までに食べきったそうだ。食事は、ごはん、みそ汁、漬け物、煮物と野菜中心で、魚は田植えと祭りの年に2回晴れの日だけ頂けるごちそうで、正月すら魚は食べなかったそうだ。また、基本的に肉を食べる習慣はなかったそうだ。この肉食文化すら石油で支えられている。

暖房はいろりと火鉢。なので、この辺りではどこの家でもあたりまえのように父親は里山に入り、自給用と換金用に炭を焼いていたという。

風呂ももちろん薪風呂だ。大山村に一人桶屋がいて、きんざさんの家に泊まりがけで風呂桶を作りに来たそうだ。各家には風呂桶用に30~40年物のあすなろの木が植えてあり、その木の風呂桶も30~40年くらい使用出来たそうだ。う〜ん、風呂桶さえも自給する循環の文化があったのだ。日本人は風呂好きの民族で、毎日沸かして入っており、風呂炊きの仕事も10才前後になると子供の仕事だったという。

また、就職がなかった時代、男たちは雨が降れば皆、お堂(今の集会所)に集まり、笛や太鼓や踊りを楽しみ、土で出来た大きなかまどでごはんを炊いて酒を飲んだという。村人全員が農民でありアーティストである「バリモデル」という言葉があるが、ここにも同じ「鴨川モデル」があったのだ。

しかし戦後、日本は驚くほど急激に変化した。

昭和20年頃から電気が通り、裸電球が村全体へ普及した後、昭和32年頃、村で最初の冷蔵庫がきんざさんの家へ入った。冷蔵庫が来た時は、この「電化製品」とは一体何なのか?本当に動くのか?良くわからなかったので、1ヶ月納屋にしまって家族で様子見していたと、きんざさんは笑って話してくれた。次に東京オリンピックの5~6年前にこれまた村で初めてきんざさんの家に白黒テレビが来た。そしてその次に洗濯機が入った。村に唯一あった川上電器商会を商っていた川上さんときんざさんは友人だったので、村ではいつも一番始めにきんざさんの家へ「三種の神器」が入ったそうだ。

そして高度経済成長に入り、村から少しずつ若者が都会へ出て行き、物質的豊さと引き換えに村は衰退して行った。

まるでローカリゼーション運動の世界的リーダーである言語学者のヘレナ・ノーバーグ・ホッジが制作したドキュメント映画「懐かしい未来」の舞台となった北インドのラダックのようだ。

「昔と比べて、今、良かったなと思うことはなんですか?また、昔のいやだったことは何ですか?」地球生活楽校の受講生のどらちゃんがきんざさんに尋ねた。どらちゃんは東京でゲームソフトやアプリの開発をするIT企業を経営する事業家だ。最先端のハイテクの人であるどらちゃんは、手仕事の名人でローテクの人であるきんざさんに鋭い質問をした。

きんざさんは、う〜んそうだな〜・・・としばらく考え込んだ。

この激動の時代を体験して来た村の長老がなんて言うのか、僕らはきんざさんの口が開くのを静かに待った。

「ホヤ掃除がいやだったな」と、遠い目をしたきんざさんがポツリと言った。

えっと拍子抜けする答えが返って来た。

子供の頃、ランプのススを落とすホヤ掃除が、学校から帰ると一番先にやらなければならない仕事だったという。手が真っ黒になり、今のように石鹸もないので油に汚れた手は、灰で洗ってもなかなか綺麗にならず、手がいつまでも油臭くいやだったそうだ。

電気と石油がなかった村の暮らしはもっと大変で、辛い仕事もたくさんあったように思うが、ホヤ掃除が一番いやだったとは・・・・。

また昔、良かったことはなんですか?という問いには、きんざさんはこう答えた。

今年のように日照りの時でも、畑の水には困らなかったと言う。なぜなら風呂の水は毎日変えるなんて「もったいない」ことはせず、何日も使い続け、その使い終わった湯は「湯流し」と言って畑に撒いたそうだ。この家族全員のアカがたっぷり入った「湯流し」は栄養満点で、それはそれは畑の作物が良く育ったと言う。

そして、その作物をまた食べるという「循環の暮らし」が、「永遠のサイクル」がここにはあったのだ。さらっと答えてくれたが、これはとても意味深い内容だ。風呂の湯も、トイレの水も、産業廃棄物も、核廃棄物も自然界へ捨ててしまう僕らの社会はこの「循環文化」を失ってしまった。それは、自然と結ばれていた「精神文化」を失ってしまったということだ。

「今、良かったなと思うことはなんですか」

「いや〜、今は何でも良くなったよ。携帯電話は本当に便利だよな〜。この冬から光回線がこの山の中にも入るので、冥土の土産にパソコンをやってみようと思うよ。」と、85才になるきんざさんの前向きでバイタリティ溢れる発言に一同おお〜と歓声が上がった!

そう、色々問題はあるが僕らの社会は総合的には良くなっているのだと思う。

もちろん、現代文明は危機を迎えており、人類として崖っぷちにいる事実は変わりないが、この鴨川の里山集落には伝統的で持続可能な日本の農村文化とハイテクな日本の工業文化が共存している。この二つを融合させ、バランスの良い地球1個分の地球市民ライフスタイルを発明することが出来る可能性に満ちているのだ。それは現代文明の突破口になりえる。

いくら政治的に法制度や経済システムを変えても、市民の「意識」と「ライフスタイル」が変わらなければ、この危機を乗り越える根本的な解決にはならない。

この意識という「内面の変化」とライフスタイルや社会という「外面の変化」が同時に起こらなければ、真に社会は変わらないだろう。「内面の写し」が「世界の現実」をあらわしているのだから、心と現実世界は鏡と同じ原理であるとも言える。だから内面が変われば必然的にライフスタイルや社会は変わるのだ。逆に言えば、内面が変わらなければ、いくら外面を変えても元に戻ってしまう。

その日の夜の食事は「もみじの手」という屋号でケータリングしてくれるみなちゃんの雑穀ベジタリアン料理だ。おいしく美しい盛りつけの地元の食材をふんだんに使ったヘルシーな夕食を頂いた後は、さっそく今日搾った植物油にバンブーランプシェードをかぶせ、淡い光の中で交流会を行った。世の中、このくらいの光で丁度良いのかもしれない。ほんわかした明かりの中、会話も弾み、楽しい夜をすごした。

翌朝、みんなは宿泊所の大山青少年研修センターの横にあるこの地域のパワースポットである大山不動尊へお参りに行った。昨夜、どらちゃんたちと飲み明かしていたため起きれなかった僕は寝ていたが・・・(反省)。大山不動尊には、波を掘る名人である江戸時代に活躍した鴨川出身の彫刻家「波の伊八」が掘った龍が鴨川を見守るように東を見据えている。この境内からは、清澄山系と嶺岡山系に挟まれた長狭平野に一本の河、加茂川が太平洋に流れる鴨川全体が一望出来る。まるで龍の身体のようにそのうねりくねった加茂川は大山不動尊まで伸び、不動尊に彫られた龍神となり、鴨川を見守っているのだ。安房の国、鴨川は龍神の見守る土地なのだ。

翌朝一番の講義ははしおちゃんとふるさんのレポート発表だ。

とても感動的なレポートだったと評判だったが、僕は次のWSの準備のため残念なことに見られなかった。(でも、後日webで見せてもらえた。特にムービーが素晴らしかった!)

次の講義と実習は、藤野電力のてつさんを講師にミニ太陽光発電WSだ。

WSは、藤野電力がスタートした物語から始まった。311後、真っ先に市民電力を作ろうとあちこちで市民運動が起きたが、その走りとなったのが藤野電力だ。神奈川県旧藤野町のトランジッションタウン藤野のメンバーたちが中心となって、家庭用のミニ太陽光発電を制作するWSを始めた。そして、藤野で地元アーティストたちが中心となって廃校で毎年開催されている「ひかり祭り」の電力や被災地支援のために東北で開かれた祭りの電力を100%自然エネルギーで賄う活動を行っていった。

その活動は瞬く間に広がり、あちこちからWSの依頼が殺到し、てつさんはITコンサルの仕事を辞め、藤野電力に人生をシフトさせた。そして、メガソーラーなどの自然エネルギービックビジネスとは距離を置き、あくまで「市民が地域でエネルギーを自給する」ことを目的とし、「小さく」、「身の丈」で活動することを立ち位置としている。地域で持続可能な社会をつくるというトランジッションタウンの手作りの市民運動がベースにあるため、あくまでその活動は市民の生活目線だ。

その日、藤野電力の活動をぜひ取材したいと、市民の目線を大切にする中日・東京新聞の記者が来た。(日本の新聞社で唯一、脱原発で市民の代弁者である貴重な新聞媒体である中日・東京新聞には、ぜひこれからも頑張ってもらいたい。)

太陽光発電のWSは実際、電気の配線工事といった作業だった。

太陽光パネルとチャージコントローラーをつなげ、チャージコントローラーからシガーソケットへ、そしてチャージコントローラーからバッテリーへ、最後はバッテリーからインバーターへと配線をつないだ。

そして、完成すると太陽の光をチャージして電球の明かりを灯したり、Iphoneを充電した。みんな、電力配給という巨大システム、すなわち権力のブラックボックスから独立して電球の明かりがついた時は、おお〜と感動の歓声があがった。

その瞬間、僕らの精神は解放された。

その時、僕は藤野電力の活動の本質は、権力と現代社会の思い込みから僕らを自由に解き放つ「精神の解放」なのだと思った。僕らは自由にエネルギーを手に入れて良いし、それが可能なのだと、市民とは「自由な存在」なのだと。

実際このミニ太陽光発電をつくっても、エネルギーの自給にはほど遠い。でも、僕たち市民は決して無力ではないし、望むものを手に入れる能力と力を持っている。あとは知恵を集め、ネットワークし、それを信じ、一歩を踏み出すだけだ。

もう、黙っていることはないし、じっとしていることもない。「可能性」と「希望」の海へダイブしろと、藤野電力は市民の背中をそっと押す。叫ぶわけでもなく、アジテーションするわけでもなく、ほら、電気だって市民が作れるんだよって。これは微笑みの革命、スマイル・レボリューションの一つなのだ。

最近、久しぶりに旅人のあこちゃんが鴨川の我が家に来た。

僕の尊敬する友人のあこちゃんは、23才から旅を初めて今年で19年目になった。

ベジタリアンのあこちゃんは玄米をたずさえ、全身に「あなたに愛にきました」とマジックで書いた服を着て、ママチャリに乗って風のように、世界20カ国、日本全国を旅し続けてる。

究極のダウンシフターであるあこちゃんは年収3万円で暮しているが、「今年はもう少しダウンシフトして1万円で暮そうと思うんです」と、言っていた。

そして去年は半年を掛けて54基の原発を全部歩いて来たそうだ。そこで見て体験したことは決してメディアでは報道されない「もう一つの日本の姿」があったそうだ。

そして、原子力産業が日本に存在する「本当の理由」を全身で理解したという。

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という宮沢賢治の言葉そのものを生きるあこちゃんは、今は原発に苦しむ人々のそばへ行き、いろいろなお手伝いをしながら全国を旅している。

携帯電話もパソコンも、とにかく一切な~んにも所有していないあこちゃんと連絡を取るのは至難の業で、僕も会うことはめったにない。

いつもあこちゃんは旅の途中、鴨川に来ると鍵のない我が家にそぅ〜と忍び込み、僕が家に戻って来るのを隠れて待ち、僕が家へ戻ると後ろからそぅ〜と近寄り、おどかすのがお決まりの挨拶だ。そう、あこちゃんは寅さんのような感じである日、突然ふらっと現れ、そしてまた風のように去って行くのだ。(ちなみにあこちゃんは男性です)

彼が見て来たものは、都会を支えるために犠牲になる地方という社会構造の日本国内にある「南北問題」、事実を伝えない「大手マスメディア」、企業・政府・官僚・学者・メディアが一体となった「原子力村」、いのちより経済を優先する「価値観」、自分で考え、自分で判断し、自分で行動する「自立した自由な精神」の人間を育てない教育制度、それらが複合的に重なり合い、54基もの原発を作らせ、この国を形づくっていたそうだ。

また青森県は米軍の三沢基地、六ヶ所村核燃料サイクル施設、自衛隊と地図上から俯瞰すると一直線に並んでいて、米軍と原発と自衛隊は超極秘に水面下でつながっているのではないかと思ったという。さらに六ヶ所村の土地の多くは防衛省の所有だったそうだ。そこでは軍需産業の匂いがプンプンしていたそうだ。

あこちゃんが見て来た原発のある日本の姿に、現代文明の歪みがはっきりと見えたという。

ここ最近、ヨーロッパの金融危機で世界経済がダメージを受けているのに、唯一経済成長を続けているのが軍需産業だ。そして、その上位100社のうち約半数近くがアメリカ企業だ。そして、その中に三菱も入っている。三菱は日立・東芝と並び原発を作っており、実は日本最大の武器商人だという。資本主義の大量消費社会でもっともおいしいビッグビジネスが戦争である。一発何千万円のミサイルをドカドカ打ちまくり、リッター200~300mのガソリンを大量に消費する戦車や一機何百億円もする最新戦闘機を売りまくる軍需産業にとって、どこの国が勝とうとどうでもいいことだ。

たくさん武器を消費してもらえば、どっちでもいい。常に、世界のどこかで激しくドンパチしてくれれば、とんでもない利益を生むのだから、こんなにおいしい商売はない。不況や金融危機も関係ない、むしろ社会不安は怒りと憎しみが増大し、それを利用し対立を生めば武器商人にとっては願ってもないチャンスだ。そしてその延長線上に原子力産業はあり、いつでも核武装できる準備が整うという証でもある。ちなみに日本は、恐ろしいことに長崎型原子爆弾の原料となるプルトニウムを世界最大の45tも保有している。地球を何度も破壊させることが出来るクレイジーな量だ。そして、そのきな臭い動きは今、竹島や尖閣諸島を火種に中国、韓国、日本を揺さぶっている。しかし、犠牲になるのはいつも一般市民だ。僕らはそんな愚行に巻き込まれたくはない。

今回の旅で、米軍の敷地にうっかり入ってしまったあこちゃんと一緒に旅を続けていた僧侶がアメリカ軍に拘束されてしまった。あこちゃんは地元のお巡りさんに助けを求めたが、お巡りさんはこう言った。あそこに入ってしまったら、もう手を出せません。あそこは日本の法律が届かないのですと。日本にある米軍基地はなんと住所はカルフォルニア州ロスアンジェルスだという。アメリカ合衆国カルフォルニア州ロスアンジェルス三沢基地とか、横須賀基地となっているのだそうだ。「日本にアメリカ軍があるのは、日本を守るためでなく、日本を支配するためにあるんだよ」と米兵に言われたそうだ。自国に他国の軍隊がいて、その維持費を税金でまかない、しかも住所はアメリカという現実は、実質的に日本はアメリカのソフト植民地だということだ。原発もTPPも根っこはそこにある。そしてその事実を国民のほとんど多くは、誰も気づいていない。

この事実を知り、巨大な壁の前に立つ僕たち市民は、それでもあきらめることなんかない。

今、僕らはジャンプする。

この巨大な壁を、現代文明の枠組みを。

同じ土俵で戦うのでなく、彼らが手出し出来ない高みへと飛ぶ。

この巨大な壁は、本当の敵は、世界を覆うグローバル経済、アメリカや国家を超えた軍需産業だけではなく、一人ひとりの内側にもあるのだ。一人ひとりが自分で考え、判断し、行動する「自立した自由な精神」で生きることこそ、次の文明を創造する。

僕らの「自立した自由な精神」は決して侵されることはない。

僕らは「自立した自由な精神」で、

マスメディアに従うのでもなく、

総理大臣に従うのでもなく、

カリスマ指導者に従うのではなく、

教祖に従うのでもなく、

ただ僕らは自分で考え、「自分の魂」に従い、今ここで、自然とともに地域コミュニティで生きる。

しかしこの間、団塊世代の元学生運動家と議論した時は、それでは甘いと言われた。その自然とともに地域コミュニティで生きる人々の所へ軍隊が武器を持ってやって来たら、いとも簡単に破壊される。パリコミューン、ベトナム戦争、チベット、アメリカ先住民を見よ、歴史を見よ、それが国家だ、それが軍隊だと。

だから、軍隊に指令を出す政府を奪取しようとしたのが60年代の学生運動の最終的な方向だった。60年代はそういう時代だったのだ。でも、国家を奪取するためのエネルギーを全人生に掛けると、自然と共に生きる実践が出来ない。それでだけはダメなのだ。

だから、2000年代の社会変革は上も、下も、中間も変える「3輪車ムーブメント」が望ましい。個人のライフスタイルの実践(下の変革)、コミュニティや地域社会レベルでの実践(中間の変革)、市会議員や市長、県会議員、県知事、国会議員、緑の党等の政治の実践(上の変革←これが一番時間がかかるが)、この3つが同時に変化して行くネットワークをインターネットでつなぎ、連動しながら大きなうずを起こす文化創造運動として行きたい。

団塊世代の元学生運動家の言うことも最もだ。武器を持たぬ者はあっけなく倒されるだろう。しかし、僕らには今、インターネットがある。かつて名も知れず死んで行った人たちと異なり、今は誰もが情報発信者であり、証人であり、メディアである。日本のみならず世界中の市民と連携しネットワークすることが出来る。マハトマ・ガンジーの行った非暴力・不服従の社会ムーブメントを、ソーシャルアクションを全世界規模で行うことが可能だ。この波紋の広がるスピードは速く、止めることが出来ないだろう。

現代は、国境・民族・文化を超えた新しい世界市民、「みどりの地球市民」が生まれている時代だ。

「たとえ生きている間に世界平和が達成出来なくても、行動し続けるべきだ」と、ダライ・ラマが言っているように、僕らは続けよう。

そして、その「みどりの地球市民」ネットワークの波に乗りながら、自然とともに生きるコミュニティをつくり、「みどりの社会」という海をサーフィンしよう。

楽しく、気持ちよく、美しく、創造的に。

その喜びの波紋は、世界を覆う。

その喜びのエネルギーは、地球を覆う。

そのエネルギーの本質は、愛だ。

サーフィンの神様と言われているジェリー・ロペスは映画「ガイアシンフォニー」でこう言っていた。

「波に乗っている時は『無』だ。」

それは自然と一体となり、自分と言う「エゴ=自我」が消え、宇宙と一つになっている、ワンネス状態だ。

その意識状態では国家というエゴを越え、民族というエゴを越え、人間というエゴを越える。

その状態では、どんな武器も、どんな権力も、それを破壊することは出来ない。

最初の問いに戻ろう。

「果たして人類という種は、今後この星に存続できるだろうか」

僕は出来ると信じている。

だから僕は、今、ここ、棚田の村で「ノアの方舟」をつくっている。

そして、この「ノアの方舟」の動力エネルギーは原子力ではなく、森と光と水と土だ。

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鴨川地球生活楽校9月「エネルギー」」への5件のフィードバック

  1. 全く同感、感動しました。少しずつですが、一歩一歩確実に進んで行きたい。そしていつかは必ず彼らの届かない高い世界に行きたいです。いつもありがとうございます。

  2. このレポート、しばらく僕のバイブルにさせてもらいます。
    いつも言葉にできなくてモヤモヤしていたものが見事に形になった感覚です。
    良樹さんありがとうございます!

    • 上田のまっつん、ありがとう。僕もなんとか心の奥から、搾り出て来た言葉なんです。バイブルとはモッタイナイお言葉です。僕自身も、僕の魂が自分に送っている言葉なのです。一緒に向かいましょう、次の文明へ!

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